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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)1593号 判決 1976年5月27日

控訴人 甲野二郎訴訟承継人 甲野星子

<ほか二名>

右控訴人ら訴訟代理人弁護士 山花貞夫

同 中野新

被控訴人 甲野梅子

同 甲野松男

右被控訴人ら訴訟代理人弁護士 渡辺法華

主文

本件控訴を棄却する。

控訴人らの第二次的請求を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は、「原判決を取消す。被控訴人らはそれぞれ控訴人らに対し、原判決第一目録記載の建物(以下本件建物という)の各二分の一の持分権につき、所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。」旨の判決を求め、当審で第二次的請求を追加し、「原判決第一目録(二)記載の借地権(以下本件借地権という)は、控訴人らの各持分権三六分の一宛の準共有(準備書面に二三分の一宛とあるのは誤記と認める)に属することを確認する。」旨の判決を求めた。被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実に関する主張及び証拠関係は次に附加するほか原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。

一  控訴人らの主張

1  第一次的請求について

(一)  承継前の控訴人二郎は昭和四九年七月一七日に死亡し、その妻控訴人星子、長男同三郎、長女同月子が二郎の遺留分減殺請求に関する権利を相続した。

(二)  本件建物、本件借地権、原判決第一目録記載の有体動産類(販売用商品である時計及びその附属品、貴金属、眼鏡等。以下本件商品類という)、同第二目録記載の器具備品、普通乗用車、電話加入権、預金、現金(以下その余の動産類等という)は、すべて、太郎が自ら時計商をして造成したもので、同人の遺産であり、被控訴人らに右財産造成の寄与分はない。

(三)  二郎が昭和三四年三月ころ太郎から〇〇〇駅前の時計店開店にあたり、金一三〇万円ではなく、金一〇五万二、七八四円の交付を受けたことはあるが、その内金三五万二、七八四円は二郎がそれまで働いていた太郎経営の時計店舗から報酬として支払を受けたものであり、内金七〇万円は、妻星子の実家の乙山十郎から借受けた金員を太郎を通じて交付されたものであって、いずれも、太郎から生前贈与を受けたものではない。

2  第二次的請求について

(一)  相続関係及び遺贈(但し後記(二)を除く)の関係の事実は、第一次的請求原因で主張したところと同一の主張をする。

(二)  太郎が昭和三六年四月一日被控訴人梅子に対し、本件借地権を贈与したが、二郎は生前これを知らず控訴人らも原判決後にその事実を知ったので、控訴人らは昭和五〇年一一月一一日の本件当審第三回口頭弁論において、その贈与につき遺留分減殺請求権を行使する旨意思表示した。

(三)  太郎の遺産の総評価額は本件建物を除き、金三、〇四四万五、七六〇円、二郎の遺留分はその一二分の一にあたる金二五三万七、一四六円で、右額は本件借地権評価額の一二分の一を越えるから、本件借地権の一二分の一につき、減殺できる。

(四)  遺留分減殺請求の結果、控訴人らは本件借地権三六分の一宛の準共有持分権を取得したので、その確認を求める。

二  被控訴人ら主張

1  第一次的請求について

控訴人らが遺産であると主張する本件建物、本件借地権、本件商品類、その余の動産類等は、もと太郎が主となって経営し顧客層も獲得していた時計商を、被控訴人ら夫婦が昭和三〇年ころ後継者として引継ぎ、被控訴人らが主となって経営に従事して造成した財産であり、したがって、太郎、被控訴人梅子、同松男の三名の共有に属し、その寄与割合は各三分の一宛とするのが相当で、太郎の遺産は右三分の一相当(評価額一、〇一四万八、五八六円)にすぎない。

2  第二次的請求について

控訴人主張一2(一)の事実を認め、同(二)の事実中遺留分減殺請求の意思表示の事実を認めその余の事実を否認し、同(三)(四)の事実を争う。その余は、第一次的請求についての主張と同一の主張をする。

≪証拠関係省略≫

理由

一  控訴人の第一次的請求について

1  当事者の身分関係等前提事実

控訴人らの被承継人甲野二郎及び被控訴人甲野梅子が甲野太郎の実子であり、被控訴人甲野松男が被控訴人梅子の夫であること、太郎が昭和四二年二月八日東京都町田市において死亡し、その相続人が妻花子、三男二郎、長女丙川稲子、次女被控訴人梅子、三女丁田米子の五名であり、その余の子である長男、次男、四男、五男はいずれも太郎の死亡前に死亡し、かつこれらにいずれも代襲相続人たるべき子がいなかったことは当事者間に争いない。

2  遺産の範囲

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  太郎は少なくとも昭和二〇年以前から大森林次(以下大森という)から本件建物を賃借し、妻花子と居住し、その一部を店舗として使用し、花子も協力して時計の販売修理業を営んでいた。太郎の三男二郎は戦争による傷い者で、太郎は二郎が何とか独立して生計を営むことのできるよう格別配意していたが、二郎は昭和二一年ころから昭和二七年ころまで、及び、昭和二九年ころから昭和三四年ころまでの間右時計店の帳簿整理などの手伝いをしていた。また、二郎は昭和二五年四月二二日はると婚姻し太郎夫婦と同居したがはるが翌年死亡し、昭和二七年九月一一日控訴人星子と婚姻挙式し(届出は昭和二八年五月二八日)太郎夫婦とともに同居したが、花子と星子との折合いが悪く、同年一二月ころ星子の実家(〇〇市)に行き、昭和二九年上京後は太郎夫婦とは別居し、二郎が時計店に通いで手伝いに行っていた。太郎としては、当初二郎を時計商の後継者とするつもりでいたが、前記のような状況であったため、同居していた被控訴人梅子に婿を迎えて後継者とし、二郎は他の職業に就かせることとし、そのころ、二郎のため、菓子商、古本商などを営む店舗を用意しその商売をさせたが、軌道に乗らないうちに二郎はこれらをやめてしまった。二郎は片手で不自由ながら時計の修理もできるようになり販売も自信がついたので、昭和三四年四月ころ〇〇〇駅前に時計店を開店するにいたり、太郎の時計店の手伝いをやめるにいたった。

(2)  太郎の二女である被控訴人梅子は昭和三〇年一一月二日被控訴人松男と、妻の氏を称する婚姻をした上、太郎夫婦と本件建物に同居して家業の時計店の営業に関与するようになり、被控訴人梅子が販売、同松男が販売、修理をし、その経営の実権は徐々に被控訴人夫婦に移行しつつあった。二郎が、前記のように、〇〇〇に時計店を開店し、太郎経営の時計店に関与しなくなり、昭和三五年ころからは右時計店の経営は被控訴人らに任され、営業名義だけは従前どおり太郎名義を使用したが、太郎は業務の大綱につき相談に与るほかは殆んど営業の実務に関与せずおうむね余生を楽しむ生活を送るにいたった。

(3)  昭和三六年三月ころ店舗拡張の必要が生じた機会に太郎は被控訴人梅子に対し本件建物の賃借権を譲渡し、被控訴人梅子はそのころ本件建物及びその敷地(本件借地)所有者である大森と交渉し同人から同年四月一日本件建物を買受けるとともに本件借地を建物所有の目的で賃借し、それらの代金八万円は、右時計店の収益中から支払い、本件借地権の借主は被控訴人梅子名義とした。そこで、被控訴人らはそのころ本件建物のうち階下店舗部分を拡張し、二階居住部分をも新たにもうける増築工事をし、昭和三七年八月一五日これを新家屋として所有権保存登記をしたが、その所有名義は、営業名義に合せて太郎とした。その工事代金として金一三〇万円を要したが、それは借主を太郎名義として八千代信用金庫から借受け、後に、被控訴人らが時計店の営業収益の中から弁済した。増築後の本件建物には従前どおり被控訴人らが太郎、花子と同居しその扶養をしていた。

(4)  本件商品類、その余の動産類等も、以上のように被控訴人らが時計店を経営した結果、被相続人太郎の死亡当時右時計店の財産として存在したもので、それは太郎経営時より相当増加したものである。

以上のとおり認定することができる。一部右認定に反し、二郎が太郎の時計店の手伝をやめた後も太郎がその店の経営をしていた旨述べる≪証拠省略≫は信用できず、他に右認定を左右する証拠はない。

ところで、被相続人が営んでいた商店の営業を実質上その子夫婦に承継させ、爾後営業名義は被相続人としているが、実際にはもっぱら子夫婦の経営努力によって営業が維持され、その利益によってその建物所有権及び敷地の借地権等を取得し、建物を増築し店の商品等の在庫量が増大するなどその商店に造成された財産は、その一部の所有名義が被相続人になっていても、実質的に被相続人及び子夫婦がその商店を営むことを目的として一種の組合契約をし子夫婦が組合の事業執行として店舗の経営をした結果得られた財産とみられるから、被相続人が死亡し他に共同相続人がいる場合には、組合の解散に準じ、その出資の割合に応じて残余財産を清算し、その清算の結果子夫婦の各取得する分はその財産形成の寄与分として遺産から除外し、被相続人の取得分のみを遺産として取扱うべきものと解するのが相当である。本件において、被相続人太郎は、借家である本件建物でしていた時計店の販売修理業を実質上被控訴人ら夫婦に承継させ、営業名義は太郎に残したものの太郎は営業に関与せず、被控訴人らが経営し努力した結果、本件建物を取得した上増築し、本件借地権も取得したほか、店舗の商品在庫量も増大し、相続開始の時までに、右のほか本件商品類、その余の動産類等を取得し財産を形成するにいたったものであり、その営業名義、本件建物の所有名義が太郎であるとしても、その財産は、太郎及び被控訴人ら三名の組合財産とみるべきであるから、太郎が死亡し他に二郎など四名の共同相続人も居るので、右説示のように、清算することを要するにいたったものというべく、この場合、組合財産中被控訴人らの各取得分を除外した太郎の取得分のみを遺産として取扱うべきものである。

そこで、財産形成の寄与割合についてみるのに、太郎は、本件建物での営業権(本件では、得意先、のれん、場所的利益、対外的な信用等)を出資し、被控訴人らはそれぞれ時計店経営に関する諸労務の出資をしており、前記のようにその財産形成はほとんど右労務に負うものであり、これらの事情その他前記認定の各事情を総合して考慮すると、右太郎の出資に対応する財産取得割合はその三分の一であり、その余は被控訴人ら夫婦の取得(各三分の一宛)分であるとみるのが相当である。したがって、残余財産の三分の二は被控訴人らの取得分、すなわち、財産形成の寄与分として遺産から除外され、三分の一が太郎の遺産として相続の対象となる。

3  遺産額

(一)  本件建物の相続開始当時の時価が金四〇万七、二五三円であることは当事者間に争いがない。

(二)  本件借地権。≪証拠省略≫によると、昭和四五年三月一六日現在の本件借地権価額は更地価額金二、八一五万円の七〇%であること(計算上は金一、九七〇万五、〇〇〇円である)が認められる。しかし、遺留分の額は相続開始時を基準として計算すべきところ、太郎の死亡は昭和四二年二月二八日である(このことは、≪証拠省略≫から認められる)から、右時点での評価に修正すべきところ、当時の地価高騰の事情からみてその二〇%を減額して修正するのを相当とし、結局、一、五七六万四、〇〇〇円とみられる。

(三)  本件商品類。≪証拠省略≫を総合すると、本件商品類の相続開始当時の評価額は金三九八万〇、六〇五円であることが認められ、それを越えた金一、〇〇〇万円である旨の控訴人ら主張を認められる証拠はない。この点に関する≪証拠省略≫は、その挙示の数額が漠然としていて実態に沿わないから信用することができない。

(四)  その余の動産類等の相続開始当時の評価額が金七四万〇、九六〇円であることは当事者間に争いがない。

(五)  時計店経営に関する相続開始当時の債務は、前記の時計店経営の組合の残余財産を計算するにあたり、前記各積極財産の合計評価額から控除するのが相当である。≪証拠省略≫を総合すると、被控訴人が主となって経営する甲野時計店は相続開始当時で、横浜銀行町田支店に対し貸金債務金二一万三、七〇二円、株式会社マルマンなど二社に対する手形債務金五一万二、〇〇〇円、金剛など一九社に対する買掛代金債務金一六八万〇、九一〇円、太郎名義で右時計店に賦課された所得税昭和四一年三期分金六万五、三七〇円、合計金二四七万一、九八二円の債務を負担していることが認められる。

(六)  以上(一)ないし(四)の合計額金二、〇八九万二、八一八円から(五)を差引いた金一、八四二万〇、八三六円が前記の清算を要する甲野時計店の残余財産で、前記のとおり、その三分の一が遺産であるから、遺産評価額は金六一四万〇、二七八円であること計算上明らかである。

4  生前贈与

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると、太郎は昭和三四年三月ころ二郎に対し、前記1認定のように二郎が〇〇〇駅前に時計店を開くにあたり、その援助として、金一三〇万円に相当する時計その他の商品類を交付したことが認められる。乙第二号証中贈与日附が「昭和三五年二月ころ」とある部分は、右書面が後日作成されたものであり、また、正確な日の記載もないこと、二郎の時計店の開店時期が昭和三四年四月ころであることは前記認定のとおりで、その贈与はこれに接着した時点でされたものとみられることからみて、信用しない。また、≪証拠省略≫は、右認定に反し太郎から援助を受けたことはないとする控訴人ら主張に沿うものである。しかし、前記認定のように、太郎は、ことのほか二郎の生活自立に配意し、菓子店、古本店についてもその額は不明であるが相当額贈与している程で、まして同業の時計店を開店するについてはできる限りの援助を惜しまなかったものとみるべきところ、その援助方法のうち金員を支出することについては、当時前記認定のように経営の実権は徐々に被控訴人らに移行しつつあり、被控訴人ら夫婦と二郎夫婦の仲はよくなかった(このことは≪証拠省略≫から認められる)ので、困難であり、これに比べると、甲野時計店の在庫商品の一部をもって援助することは容易であったものとみられ、他方、二郎は、そのほかに開業資金として他から金員を借受ける必要があったことは原審における承継前の控訴人二郎本人尋問の結果からも窺知されるところであり、太郎の援助以外にも、二郎が他から金員を借り受けたとみることができる。したがって、これらの事情からみると、右二郎本人尋問の結果はにわかに信用することができない。他に右認定を左右する証拠はない。

そこで、右認定事実及び前記1認定の事実により、右太郎が二郎に交付した金額の性質についてみるのに、二郎は前後約一二年間甲野時計店の計理の仕事をしているが、その労務については格別月給は支払われず、その時に応じて少なめの生活費相当の金員の交付を受けていたものであり、したがって、二郎が甲野時計店を退職するにあたってはその報酬未払相当分の請求権を有し、その部分は生前贈与にあたらないものであり、これを除いた生前贈与部分は右金一三〇万円のうち、半額六五万円にすぎないとみるのが相当である。

5  債務額

≪証拠省略≫を総合すると、被相続人の葬儀関係費用及び墓地権利金として、合計金四二万三、六九六円を支出したことが認められる。右葬儀関係費用等は、本来被相続人の債務ではないが、遺留分の計算上はこれを含めて計算するのが相当である。しかし、これらの費用は、通常香典等葬儀に関する入金から収支に大きな差を生じないよう運用されることが多く、本件では、右入金額について被控訴人らは主張立証しないから、右入金額を越えてその債務が残存したとするのは相当ではない。

6  遺留分額と遺留分の侵害について

≪証拠省略≫を総合すると、太郎の相続人は妻花子、三男二郎、長女稲子、二女被控訴人梅子、三女米子であることが認められ、したがって、承継前の控訴人二郎の法定相続分は六分の一、遺留分は一二分の一である。

前記2の遺産評価額金六一四万〇、二七八円に3の生前贈与額金六五万円を加えた六七九万〇、二七八円の一二分の一にあたる金五六万五、八五六円が承継前の控訴人二郎の遺留分額であること計算上明らかである。しかし、二郎は前記のように、生前贈与として、右遺留分を越えた金六五万円を受領しているから、太郎が遺産の大部分を被控訴人らに遺贈したとしても、二郎の遺留分を侵害しておらず、したがって、二郎は遺留分減殺請求権を有しないことになる。

よって、控訴人の第一次的請求は、その余の判断をするまでもなく失当に帰する。

二  控訴人の第二次的請求について

控訴人の第二次的請求も、二郎の遺留分侵害を前提とするところ、すでにその点が理由がないこと第一次的請求について述べたところと同一であり、第二次的請求もその余の判断をするまでもなく失当に帰する。

三  むすび

よって、控訴人の請求は、第一次的、第二次的請求とも失当で棄却を免れず、第一次的請求につき同趣旨の原判決は、理由は異なるが結局相当であり、本件控訴は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 浅沼武 裁判官 蕪山厳 高木積夫)

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